GW中に三溪園へ
ゴールデンウィークは行楽地はどこも混んでいて遠出する気はしません。2016年4月30日(土)はその真っ最中で東名も関越道も混んでいるので近場の横浜本牧の三溪園に行ってみることにしました。
三渓園インターを降りてすぐ
場所は高速湾岸線の三溪園インターで降りるとすぐです。地図では公園の駐車場などが見えますが三溪園の前に専用の駐車場があり、GWの真っただ中でも停められましたので余程のことがない限り大丈夫かと思います。
三溪園の入場門に行くまで普通の住宅地を通りますがそれほど狭い道ではありません。ただしバスで来た方が歩いていたりしますので運転には気を付けてください。
三溪園とは
三溪園は製糸や生糸貿易で財をなした横浜の実業家である原三溪によって明治39(1906)年に作られた純日本式の庭園です。その広さは18万平方メートルで東京ドーム4個分に当たります。その広大な敷地に京都や鎌倉など日本中から集められた歴史的建造物17棟が配置されています。
特に有名なのは臨春閣や旧燈明寺三重塔で、それらを含む10棟が重要文化財にしていされています。
古き日本の遺産を集めた場所
人工的に集められたと言ってしまえばそれまでですが、廃仏毀釈などで古き日本の価値が不当に貶められていた時代に、これだけの建物を集めて保存し、現在の日本に残してくれた場所とも言えると思います。
また東京の近くで本格的に日本の歴史的建造物を楽しめる場所として外国人の方に人気が高いようで、我々が行った時もたくさんの外国人観光客がいらっしゃいました。
内苑を見学
始めに臨春閣へ
まずが三溪園を代表する建物「臨春閣」(重要文化財)を見学しました。中に入ってゆっくり見ることができます。
以前は桃山時代に豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構と伝えられていましたが、現在では和歌山県岩出市にあった紀州徳川家の別荘である巌出御殿ではないかと考えられています。もし聚楽第の遺構であればとても興味深いことですが巌出御殿も将軍吉宗が幼少期を過ごしたところですのでそれはそれで中々すごい所です。
内部は狩野派を中心とする障壁画と繊細・精巧な数寄屋風書院造りの意匠を楽しむことができます。
旧天瑞寺寿塔覆堂へ
臨春閣を出て少し歩くと旧天瑞寺寿塔覆堂(重要文化財)があります。寿塔とは長寿を祝って生存中にたてる墓のことで、これは豊臣秀吉が母のために建てた寿塔の覆堂です。(寿塔自体は京都大徳寺にあるそうです。)
意匠を凝らした建物、かつかなりの迫力ある佇まいで、さすがは全盛期の豊臣秀吉という感じでした。
三溪記念館の見学と休憩タイム
結構歩いて疲れたので冷房の効いている三溪記念館の見学しつつ休憩することにしました。
中にお抹茶を楽しめるところがありましたので、そちらで美しい日本庭園の景色を見ながらゆったりと休憩しました。
外苑を見てまわる
先ほど見学したのは三溪園の内苑で、今度は外苑を見て回ります。
旧東慶寺仏殿へ
まずは旧東慶寺仏殿(重要文化財)です。鎌倉の東慶寺にあった仏殿で1907年(明治40年)に移築されたものです。徳川二代将軍秀忠の娘・千姫の寄進と伝えられています。
明治に入って寺領を失った東慶寺が維持することが困難となって手放したものと考えられています。そういえば映画「駆込み女と駆出し男」の中で東慶寺はとても大きなお寺として描かれていますが、現在の東慶寺はとても小じんまりしています。
旧矢箆原家住宅はゆっくり休めます
次は旧矢箆原家住宅(重要文化財)です。1750年頃(宝暦年間)の建物で、1960年にダム建築のために岐阜県の白川郷から移築されました。
中には古い民具なども展示されていてとても興味深いです。本物の観光地ですと見学もなかなか注文がつくところですが、ここは結構自由に見学できて楽しいです。
旧燈明寺三重塔と旧燈明寺本堂
最後に旧燈明寺三重塔(重要文化財)と旧燈明寺本堂(重要文化財)です。
燈明寺は元は「東明寺」といい、寺伝によると奈良時代、聖武天皇の勅願により、現在の京都府木津川市に行基が開創したとされ、貞観5年(873年)清和天皇の勅願で空海(弘法大師)の弟子真暁が再興したといわれています。その後幾多の兵乱などにより荒廃と再興を繰り返し、現在は廃寺同然となっています。
旧燈明寺三重塔(重要文化財)と旧燈明寺本堂(重要文化財)は室町時代に一時復興した時に建立したもので、三重塔は1914年、本堂は1987年に保存のため三溪園に移設させたものです。
中の仏像などは旧境内の収蔵庫に保管されているそうです。それを含めて、これだけのものが残そうという先人の気概に尊敬の念を抱きます。
三渓園拝観を終えて
苑内はとても広く、見学にはとても長い時間を要しますが、御朱印を集めている人にとっては興味の方向が一緒なので十分に楽しめる場所かと思います。東京から近いですので一度行かれてみてはいかがでしょうか。