家から川崎のコストコへ行くときにこのエリアを通りますが「いつでも行ける」という感覚からついつい参拝が後回しになっていました。
当日はGW期間中で遠出しても混んでいるので近場のこちらをまわってみることにしました。
西山国師十六遺跡霊場第2番 光明寺
環八を走り田園調布を過ぎて、鵜木付近の右手にとても大きなお寺があります。こちらが浄土宗の光明寺です。
関東における最初の念仏道場で、もともとは天平年間に行基が開創した古刹です。
寛喜年間(1229~1232)になって、浄土宗西山派の祖、善慧証空(西山国師)が再興、中興したことで知られ、西山国師十六遺跡霊場第2番札所になっています。
西山国師十六遺跡霊場はかなりマイナーな霊場で番外札所になっている鶴岡八幡宮や四天王寺でも知っている人は少なく、ましてや専用納経帳を出すと「初めて見た」と珍しがられたりします。
こちらで御朱印を書いてくださった御婦人は霊場開設のころのことを含めてよく御存じでいろいろお話を伺え興味深かったです。
境内は都内にしてはかなり広く、「旅立ちの法然さま」像など見どころもありますが、あまり観光地化はしていないようで、連休中ですがひっそりとしていました。
白山神社
続いて環八の左側、東嶺町の白山神社へ行きました。この辺りは大田区の中でも屈指の高級住宅街ですので静かな佇まいのとても良いところです。
うまい具合に境内に車を停められましたが、残念ながら誰もいらっしゃらず御朱印はいただけませんでした。
環八から見るといつも旗やのぼりが立っているので誰かがしっかり管理しているのはわかりましたが御朱印情報は聞かないのでどうしたものかと思っていましたがやはりいただけませんでした。氏子の方々がしっかり管理されているのでしょう。
お参りして、写真を撮らせていただき次へ向かいました。
新田神社
最後に新田義貞の次男である新田義興公を祀る新田神社に向かいました。環八からカーナビ通りにJR南武線の武蔵新田駅付近を抜けて行きましたが、駅前のごちゃごちゃした所を通らされて運転に難儀しました。
新田義興公は北畠顕家の奥州軍に加わり吉野で後醍醐天皇に謁見。父の義貞・兄の義顕の戦死後も観応の擾乱に乗じて鎌倉の奪還を目指して上野国で北条時行らとともに挙兵したりと南朝方の中心として転戦していましたが、公の武名を恐れる鎌倉公方の足利基氏と関東管領の畠山国清により多摩川河畔の矢口の渡しで謀殺されてしまいました。
新田三兄弟の書籍
近隣の住民が義興の霊を鎮めるために墳墓の前に新田明神社を創建し、後に新田大明神として尊崇されるようになり、江戸時代になると、徳川氏が新田氏の末裔であるとされていることもあり、武家信仰の神社として大いに信仰されたと言います。
神社は連休中ということもあり結構な人出で地域に根ざした良い感じの神社だなと思いました。
こちらではオリジナル御朱印帳を取り扱っており購入しました。
参拝後まだ時間は早かったのですが、この日の参拝はここで切り上げて帰路につきました。