世界記憶遺産候補「上野三碑(こうずけさんぴ)」
上野三碑(こうずけさんぴ)とは
現在の高崎市に存する古代(7世紀から8世紀)の石碑3碑で多胡碑、山上碑(やまのうえひ)、金井沢碑からなります。半径5キロメートル以内の非常に近接した位置に所在して、それぞれ特別史跡に指定されています。
平成27年9月24日、世界記憶遺産の国内候補として決定されました。平成29年のユネスコ国際諮問委員会において登録の可否が審議されることとなっています。
これを受けて地元では新たな観光資源として力を入れているようで付近の至る所で「上野三碑」と書かれた旗指物が見られます。
山名八幡宮に参拝
恥ずかしながらこの「上野三碑」の存在を全く知らず、高崎の山名八幡宮に御朱印をいただきに行ったのですが、道の各々に「上野三碑」の旗があるので、気になって調べて見ると、確かに興味を惹かれたので、参拝後は御朱印旅をいったん休憩して石碑巡りをすることとしました。
ちなみに山名八幡宮は応仁の乱で知られる山名宗全を出した山名家の山名のことで、元々は源氏の一族でこの地から鎌倉末期に京都へ出て行ったとのことです。足利といい、新田といい、この山名といい、北関東出身の武士たちが室町の世、即ち「京の雅」を作ったわけで、この地方が現代では「田舎」扱いされているのは何か変な気がします。
山上碑(やまのうえひ)
山上碑は山名八幡宮からさらに山の方に車で5分程走ったところにありました。途中少し道は狭いですがそれほど気にならずに走れます。碑への階段の前に無料の駐車場が整備されています。当日は平日で観光客は全くいなかったのですが観光地化するための工事が進められていました。かなり寂しいところですので人がいてくれてよかったです。
山上碑は階段を結構登ったところにあります。階段を登りきると大きな古墳があります。
碑は風化防止のためコンクリートの小屋の中にあります。
碑文には681年(天武天皇10年)に放光寺の僧である長利が亡き母のために建立した碑であることが記されています。
本当はここだけ見て切り上げて御朱印巡りに戻ろうかとも思っていたのですが、実際に見ると歴史を感じる立派なものでしたので、残り2つも見に行くことにしました。
金井沢碑
金井沢碑は距離的には山上碑の近くにありますが、カーナビによると至る道が無いようでしたのでぐるっと迂回して行きました。
石碑は726年(神亀3年)に上野国群馬郡下賛郷の三家氏が中心となり、祖先や父母の供養のために一族が結集することを誓ったものだそうです。
こちらは山上碑ほどの階段はなく、しかも観光用に整備されていますので歩きやすいです。また付近にトイレや休憩スペースなどの整備も進めていて観光地化に余念がないようです。ここも人の気配のないところですが工事の方がいて寂しくなかったです。
多胡碑
多胡碑は「上野三碑」の中でも最もメジャーな石碑で、那須国造碑(栃木県大田原市)、多賀城碑(宮城県多賀城市)と併せて「日本三古碑」の一つとされています。
石碑には、711年(和銅4年)3月9日に上野国片岡郡・緑野郡・甘楽郡の中から300戸を割いて新たに多胡郡が建てられたということが書かれており、またこれを決定した当時の中央政府高官の名(太政官・二品穂積親王、左太臣・正二位石上尊、右太臣・正二位藤原尊)が記された歴史的価値の非常に高い石碑です。(穂積親王は天武天皇の子、藤原尊は藤原不比等)
こちらはなかり有名な石碑で公園が整備され「多胡碑記念館」もあります。(当日は残念ながら休館でした。)石碑も公園も中にありますので前の二か所と違って安心して見学できます。もちろん駐車場も十分にありますので、ここだけでも観光してみても良いかと思います。
「上野三碑」見学を終えて
「上野三碑」の急な観光でしたが、私の御朱印旅行は興味を惹くスポットがあれば、そちらに切り替えるのはいつものことですので、かえって面白かったです。
「上野三碑」は3か所回って2時間ほどでしたので東京から楽に日帰りできます。世界記憶遺産に登録されたら混雑必至ですので今のうちに観光してみてはいかがでしょうか。
御朱印を出せばいいのに
群馬県のHPに「上野三碑」で御朱印を出したらどうでしょうという提案をしました。是非とも出してほしいものです。
(メールを出して一週間経ちますが返事はありません。)