南禅寺は正月準備で拝観がお休み
年末はこのところ京都を散策するのが恒例になっています。夏は暑いし、春秋は激混み、正月は身動きも取れないので、この時期が良いかもと思っています。
ところが年末の京都の最大の難点は正月準備でお寺がお休みのことがままあること。一昨年は建仁寺でやられましたが、今回は南禅寺もそうでした。
ここは御朱印帳がカッコいいので是非とも買いたかったのですが拝観休止で売店もお休みです。本日はここが目当てだっただけにとても残念です。
永観堂 禅林寺
気を取り直して南禅寺から北上して禅林寺に向かいます。こちらは「紅葉の永観堂」として有名です。
本尊阿弥陀如来立像は、顔を左(向かって右)に曲げた特異な姿の像で「みかえり阿弥陀」と呼ばれる、珍しい御姿の仏像です。
観光客の少なくゆっくりとお参りできました。
こちらでは御朱印を3種類とオリジナル御朱印帳を購入しました。
熊野若王子神社 大豊神社
続いてさらに北上して熊野若王子神社へ。こちらは後白河法皇が熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請した神社です。
ここが哲学の道の終点に当たるところです。
境内は正月準備の作業やら焚き火やらでほのぼのとした雰囲気でした。
哲学の道に入り、大豊神社に入ります。このあたりは「鹿ヶ谷の陰謀」が行われたエリアだそうです。
境内には狛犬ならぬ狛ネズミがあり、何ともユーモラスです。
ここからさらに哲学の道を北上と思いましたが、岡崎エリアにまだ行っていない寺社がいろいろとあるので、ここで左折して向かうこととしました。
岡崎神社
哲学の道を銀閣寺方面には行かずに左折して岡崎方面に向かいました。ちょうど平安神宮の裏側にあたります。
まずは岡崎神社へ。桓武天皇の平安京遷都のりに王城鎮護のため平安京の四方に建てられた社の一つで都の東に鎮座するころから東天王と称されています。
このあたりは野兎が多くいたそうで、そのことから兎が神使として崇敬されています。境内にうさぎの像があちらこちらにありました。
聖護院方面に歩いていると御辰稲荷神社という小さな神社がありました。
神社の名の中の「辰」の字が、達成の「達」につながるとされ、芸事上達の神様として信仰されているそうです。御朱印もいただきました。
須賀神社・交通神社
さらにそこからすぐのところにある「須賀神社・交通神社」へ行きました。もともとは現在の平安神宮の境内にあたるところにあり西天王社と呼ばれていたそうです。
昭和39年に交通神社を分祀し現在の形になったそうです。交通安全祈願の神社はたくさんありますが、そのものずばりの名前の神社は珍しいです。
積善院准提堂
聖護院塔頭の積善院准提堂です。准提堂にある凖提観音は光格天皇の勅願。
なお現在の天皇家は光格天皇の直系にあたります。
聖護院
御朱印をいただいた後、となりの聖護院へ。こちらの宿泊施設は私が高校の修学旅行で宿泊した施設でなつかしかったです。
聖護院は日本の修験道における本山派の中心寺院であると共に全国の霞を統括する総本山です。
修験道は役小角が創始し、日本本来の山岳信仰に結びつき大いに栄えましたが、明治期に禁止され、廃仏毀釈により施設が破壊されたり、経済的な基盤も失ったため、現在はほとんど廃れてしまいました。日本本来の伝統文化が(神道)原理主義者たちの政治的圧力により失われた歴史が日本にもあるということは知っておいたほうが良いと思います。
こちらでオリジナル御朱印帳を購入しました。また役行者霊蹟の専用納経帳も販売していまいて迷った末買いませんでした。失敗です。
熊野神社
大通りに出て交差点付近に鎮座する熊野神社に最後に向かいます。
国家護持のために紀州熊野大神を勧進したもので代々聖護院が別当職を置いて管理してきた神社です。境内には八ッ橋発祥の地があります。
聖護院八ッ橋
その後、聖護院八ッ橋のお店でお土産を買い、喫茶店で休憩してから帰りました。
喫茶店は京都のお店らしくお洒落な雰囲気でとても良かったです。