御朱印旅紀行

全国の寺社を旅行して御朱印をいただいています。

名古屋市中村公園 豊臣秀吉生誕の地 御朱印巡り

名古屋市中村公園へ

 大須観音を始め名古屋中心部の御朱印巡りの後は、地下鉄で「中村公園」駅に向かいました。こちらの中村公園は豊臣秀吉生誕の地で、豊国神社など秀吉ゆかりの寺社で御朱印がいただけます。

 駅を降りてすぐにあるのかと思っていましたが、意外に遠くて、だいたい10分くらい暑い中を歩きました。この日はそれまでも散々暑い中を歩いていたので体力的に結構きつかったです。

豊国神社に参拝

 豊国神社は豊臣秀吉公ご生誕の地に建つ神社で明治18年に竣工しました。社殿自体は小さいなものですが、拝殿向かって右側に秀吉の絵姿が掲げられています。

 江戸時代は豊臣秀吉を神として祀ることは禁じられていましたが、明治になってそれがなくなり、まして官軍側は関ケ原の西軍の藩が主力でしたので各地に豊国神社は建てられました。京都、大阪、長浜と行きましたが、生誕の地というのはまた格別感慨深いものがあります。

 大きな「夢」の字がいかにも豊臣秀吉の雰囲気に合っています。

 拝殿自体はそれほど大きなものではありませんが綺麗で上品な雰囲気です。

 御朱印は授与所にて通常のものと「金字」のもの。それに「清正公」の3種類をいただきました。

 またオリジナル御朱印帳もありましたので購入しました。

加藤清正ゆかりの妙行寺へ

 豊国神社の参拝を終えて、次にとなりの妙行寺へ行きました。こちらは加藤清正公の生誕の地にあり、清正が名古屋城築城の際に、その余材を使って「妙行寺」を自分の生誕地に移築・再建したとのことです。

 加藤清正公は説明するまでもないかもしれませんが、秀吉に仕え数々の武功をたてました。とくに賤ヶ岳の七本槍は有名です。のちに肥後国(今の熊本城)を与えられ、名城熊本城を建設しました。

 しかし秀吉と清正はこんなに近くで生まれているということはこの時初めて知りました。こんなに近いということは余程近い親戚ではないかと思われます。(秀吉の母の大政所の従姉妹が母親とされている。)豊臣秀頼に対し、他の豊臣恩顧の大名の中でも特に最期まで忠義を尽くしていたのも、このあたりの事情あってのことと思い納得した次第です。

 お寺は「日蓮宗」でしたが、この日は私自身油断して日蓮宗用の御首題帳を持っていませんでした。御首題ではなく通常の御朱印をいただきました。

豊国大明神の霊廟 常泉寺

 最期に妙行寺のとなりにある常泉寺に行きました。こちらは秀吉の養父の筑阿彌の宅址に建てられています。こちらも豊臣秀吉公の生誕の地の一つとして挙げられています。(他に豊国神社の東:中村公園内と弥助屋敷跡の合計3説がある)

 

 境内には秀吉誕生の時に使われたという「秀吉産湯の井戸」や秀吉自ら植えたといわれる「秀吉手植の柊」があります。

 

 もちろん秀吉像もあり「生誕の地」を強く主張しています。

 御朱印は寺務所にていただきました。こちらでは御首題を書いて下さいました。

 かなり暑かったので御朱印巡りはここで切り上げ名古屋駅に戻ることとしました。地下鉄まで歩くのがしんどかったので名古屋駅行きのバスの停留所が豊国神社前にありましたのでそこでバスを待って帰りました。  

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